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eriちゃんの魂の物語 〜「ちゃんとしているのに、どこか満たされない理由」〜

こんにちは。
考えかたから世界を変える、須田 智子です。

これはeriさんの魂の物語です。

読んでいく中で、どこか少しでも

「これ、自分のことかもしれない」

と感じる部分があれば、

それは、
もともと自分の中にあったものに、
触れはじめているサインかもしれません。

その感覚のまま、
読み進めてみてください。

eriちゃんの魂の物語

ちゃんとしているのに、どこか満たされない理由

それは、いつからだっただろう。

人と話しているとき、
その場ではちゃんと笑えているのに、
家に帰るころには、どっと疲れている。

別に、嫌なことを言われたわけじゃない。

責められたわけでもない。
むしろ、うまくやれていたはずだ。

空気も読んだし、相手の話も聞いたし、
必要ならこちらから動いた。

ちゃんとしていた。
たぶん、誰が見ても「問題ない人」だったと思う。

なのに、
なぜか胸の奥にだけ、
ざらりとしたものが残る。

……今の言い方でよかった?

……あれ、出しゃばったように見えてない?

……わたしばっかり前に出たと思われてない?

……逆に、もっとちゃんと返したほうがよかった?

 

ひとつ終わるたび、
もう終わったはずの会話が、
頭の中で何度もやり直される。

そのたびに、
自分の中に二人いるみたいだ、と思う。

ひとりは、
「気にしすぎだよ」と言う。
そんなの相手はもう忘れている。
ちゃんとやったし、十分だよ、と。

 

でも、もうひとりは、
静かに首を横に振る。

“十分”って、誰にとって?

その声は、いつも少し低いところから聞こえる。

責めているわけじゃない。
けれど、ごまかしを見逃さない。

本当は、あの場で少し引っかかったんじゃない?

本当は、相手の言葉そのものじゃなくて、
その奥にある温度を感じていたんじゃない?

本当は、自分の中に湧いた違和感を、
その場を壊さないように、先に飲み込んだんじゃない?

 

そう言われると、
何も言い返せなくなる。

たしかに、わたしは、
表面だけ合わせるのが得意ではなかった。

やさしい言葉を選ぶことはできる。
場を乱さないように振る舞うこともできる。
必要なら笑うし、必要なら合わせる。

でも、
それを“ほんとうにそう思っている自分”と
ぴたり重ねることは、どうしてもできなかった。

だから、人と関わるたびに、
外側ではちゃんとしているのに、
内側では小さなズレが積もっていく。

誰かの期待に応えたはずなのに、
なぜか、自分が少しずつ削れているような感じがする。

けれど不思議なことに、
わたしは最初から、人と距離を置きたい人でもなかった。

むしろ逆だった。

ほんとうの意味で分かり合えるなら、
表面的なやり取りではなく、

もっと奥のところでつながれるなら、
ちゃんと向き合いたいと思っていた。

 

ただ、その“ちゃんと”が、
誰より自分を苦しくさせる。

曖昧なまま笑って済ませることができない。
わかったふりをして通り過ぎることもできない。
気づいてしまった違和感を、
気づかなかったことにできない。

 

でも、だからといって、
何でもそのまま口に出せるわけでもなかった。

 

言えば角が立つかもしれない。
空気を壊すかもしれない。
面倒な人だと思われるかもしれない。
わかってもらえないかもしれない。

 

だから飲み込む。
飲み込んで、整える。
飲み込んで、言葉を選ぶ。
飲み込んで、いちばん角の立たない形を探す。

 

そうして差し出した言葉は、
たしかにきれいだった。

でも、
きれいに整えれば整えるほど、
どこかで「これでよかったのだろうか」が残る。

もっと率直でもよかったのではないか。
いや、あれ以上言えば、ただの強さになっていたかもしれない。
でも、やさしくしすぎて、本音が消えていたのではないか。

 

その往復に、
終わりがない。

 

人の目を気にしている、
という言葉だけでは、
少し違う気がしていた。

 

嫌われたくない、だけではない。
よく見られたい、だけでもない。

 

もっと根の深いところで、
“ちゃんとしていなければ、自分の価値が揺らぐ”
みたいな感覚がある。

 

きちんとしていれば、
役に立っていれば、
相手に信頼されていれば、
必要とされていれば、

そこにいていい気がする。

 

けれど逆に、
少しでも取りこぼしたように感じた瞬間、
少しでも期待から外れたように感じた瞬間、
足元がすっと不安定になる。

ああ、いま見られた。
ああ、いま測られた。
ああ、いま何かが足りなかったかもしれない。

 

そんなふうに、
周囲の視線が、ただの視線ではなくなる。

確認のようでいて、判定に見える。
反応のようでいて、評価に聞こえる。

ほんとうは、
誰かがそこまで厳しく見ているわけではないのかもしれない。

なのに自分の中のほうが、
よほど厳しい。

まだ足りない。
もっとちゃんと。
もっと整えて。
もっと間違いのない形で。

 

その声は、
いつも自分の味方の顔をして現れる。

今ここで軽く出したら、もったいないよ。

ちゃんと形にしてからのほうがいい。

誤解されるくらいなら、まだ出さないほうがいい。

未完成で見せるなんて危ない。

 

そう言われると、
たしかにその通りに思える。

でも、その“正しさ”に従い続けると、
いつのまにか、
何ひとつ外に出なくなる。

 

動く前に整え、
言う前に磨き、
見せる前に疑い、
踏み出す前に確認する。

 

慎重であることは悪くない。
責任感があることも、
悪くない。

相手のことを考えられるのも、
たしかに長所なのだろう。

けれど、
そのすべてが重なったとき、

わたしはふと、
自分が自分の前にいちばん大きな壁を置いているのではないかと思うことがあった。

 

ほんとうは、もう見えているものがある。
ほんとうは、もう感じていることがある。
ほんとうは、こうしたいも、こう違うも、
かなり前からわかっている。

 

それなのに、
人にどう見えるかを確かめているうちに、
自分が何を見ていたのかさえ、
わからなくなっていく。

——ねえ、わたしは、
何を守ろうとしているんだろう。

 

その問いが浮かぶとき、
胸の奥で、また別の感覚が動き出す。

たぶんわたしは、
本当は、人に合わせたいんじゃない。

 

整えたいのだ。
壊れたままにしておけない。
曖昧なまま流しておけない。

見えてしまった歪みを、
見なかったことにできない。

 

人の気持ちも、
場の空気も、
言葉の綻びも、
どこかで全部拾ってしまう。

そして拾ったものを、
なんとか機能する形に戻そうとする。

 

誰かが混乱していれば、
少し引いて全体を見る。

場がざわつけば、
何が絡まっているのかを探る。

感情がぶつかっていれば、
その下にある本音を読む。

そういうことが、
できてしまう。

できてしまうからこそ、
なおさら自分にもそれを向けてしまう。

乱れてはいけない。
取りこぼしてはいけない。
感情に飲まれてはいけない。
未熟に見えてはいけない。

でも、
もしそうやって、
自分にだけずっと厳しいままなら、
どれだけ整えても、
心のどこかは乾いたままなのではないか。

夜遅く、
全部が静かになったあと、
わたしはときどき思う。

もし、誰も見ていなかったら、

わたしは何を選ぶんだろう。

もし、正しく見られなくてもいいなら、
どこに向かうんだろう。

もし、ちゃんとしていなくても価値が減らないのだとしたら、
何を、そんなに恐れていたんだろう。

答えはまだ、出ない。

ただ、
人の目を気にしていると思っていたこの苦しさが、
ほんとうは“人の目”そのものではなく、
もっと別のところにつながっている気がしてくる。

見られることが怖いのではなく、
見られたときに揺れてしまう自分を、
まだどこかで信じきれていないのかもしれない。

だからこそ、
ほんの少しでも自分を守ろうとして、
整え、
備え、
間違えない形を探し続ける。

その姿は、
弱さなのだろうか。

それとも、
何か別の力の途中なのだろうか。

まだわからない。

けれど最近、
ほんの少しだけ、変化があった。

以前なら飲み込んでいた違和感を、
すぐに正解へ変えようとせず、
ただそのまま見つめる時間が増えた。

なんで引っかかったんだろう。
ほんとうは何が嫌だったんだろう。
逆に、何を守りたかったんだろう。

そうやって急いで結論を出さずにいると、
感情の奥から、
思いがけないものが浮いてくる。

怒りだと思っていたものの下に、
寂しさがある。

不安だと思っていたものの下に、
譲れない願いがある。

ちゃんとしたいの下に、
ほんとうは、わかってほしい、が隠れている。

それに気づいた瞬間、
いままで“人の目を気にしすぎる自分”としてまとめていたものが、
少しだけ違って見える。

それは単なる気の弱さではなくて、
雑に扱いたくない感覚の深さだったのかもしれない。

適当に済ませられない誠実さだったのかもしれない。

目の前のことの奥にあるものを、
見過ごせない性質だったのかもしれない。

 

もしそうだとしたら——

この生きづらさは、
ただ手放せば終わるものではないのかもしれない。

むしろ、
ここにある繊細さや緊張や、
人の目にさらされるたび揺れる感覚の中に、
まだ言葉になっていない何かが、
潜んでいるのかもしれない。

だからわたしは、
まだ知らない。

この感じやすさを、
どう生きればいいのか。

この厳しさを、
どう扱えばいいのか。

この、見えてしまう力を、
どこへ向ければいいのか。

ただひとつ言えるのは、
たぶんこれは、
直すだけのものではないということだ。

苦しさの形をしているのに、
その奥に、
まだ使われていない何かがある。

それが何なのか、
まだ全体は見えない。

でも、
見えないままなのに、
もう、見過ごせないところまで来ている。

 

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