こんにちは。
考えかたから世界を変える、須田 智子です。
これはルナさんの魂の物語です。
読んでいく中で、どこか少しでも
「これ、自分のことかもしれない」
と感じる部分があれば、
それは、
もともと自分の中にあったものに、
触れはじめているサインかもしれません。
その感覚のまま、
読み進めてみてください。
ルナさんの魂の物語
たぶん、わたしの中でずっと消えなかったものは、
「これでいいことになっているけれど、本当にこれでいいのかな」という感覚だった。
大きな事件があったわけじゃない。
むしろ、外から見れば普通だったのだと思う。
ちゃんと会話もしている。
ちゃんと役割も果たしている。
ちゃんと日々は進んでいる。
家族の中でも、近しい人との関係の中でも、
表向きにはそれなりに成り立っている。
わたしもそれを壊したいわけではなかった。
できることなら、穏やかに、ちゃんと、うまく回したかった。
でも、心のどこかで、ずっと引っかかっていた。
——いま、ほんとうは何が起きているんだろう。
——この人は、ほんとうにこう思っているのかな。
——わたしは、何を守ろうとしているんだろう。
その問いは、声に出すほどはっきりしたものではなかった。
ただ、食卓の空気とか、会話の間とか、
言われたことより、言われなかったことのほうに、
わたしの気持ちは引っ張られていた。
大丈夫と言いながら、少し疲れている声。
平気そうに見えるけれど、どこか固くなっている表情。
怒ってはいないはずなのに、なぜかわたしの中に残る重たさ。
そういうものを、わたしは受け取ってしまう。
受け取ろうとしているのか、
勝手に入ってきてしまうのか、
自分でもよくわからない。
でも、感じたものを感じなかったことにはできなくて、
すると自然に、次のことを考え始めてしまう。
——どうしたら、この場はもう少し楽になるだろう。
——どうしたら、この人は無理をしなくて済むだろう。
——どうしたら、ちゃんと回るだろう。
たぶんわたしは、ただ優しくしたいわけじゃない。
ただ仲良くしていたいわけでもない。
もっと現実的で、もっと切実なところで、
「崩れないようにしたい」と思っている。
関係が。
空気が。
生活が。
大事なものが。
だから考える。
先に考える。
言われる前から考える。
誰かが困ってからではなく、その前に整えたくなる。
そのたびに、わたしの中にはいくつかの声が現れる。
ひとつは、きちんとしたいわたし。
——大丈夫、まだ整えられる。
——ここで雑にしたくない。
——ちゃんとしたほうがいい。
——わたしが見ておけば、少なくとも悪くはならない。
この声は、静かで、強い。
あまり感情的には見えないけれど、いちばん粘る。
簡単に投げない。
途中であきらめない。
できる限り、責任を持とうとする。
もうひとつは、前へ出るわたし。
——とりあえず動こう。
——止まっているなら変えたほうがいい。
——このままよりは、少しでも流れを動かしたい。
この声は、思っているより早い。
頭の中ではまだ全部が揃っていない気がするのに、
気づいたらもう言葉が出ていたり、
気づいたらもう動いていたりする。
そして、もうひとつ。
いちばん深いところで、ずっと消えない声がある。
——でも、これでいいんだろうか。
——わたしは何をしたいんだろう。
——この方向は、ほんとうに間違っていないんだろうか。
この声がいちばん厄介だった。
なぜなら、外側の正しさでは消えないから。
人から必要とされても、
役に立てても、
ちゃんと回せても、
うまくやれているように見えても、
それだけでは、この問いは静かにならない。
むしろ、ちゃんとやれてしまうからこそ、わからなくなることがある。
——わたしは、できるからやっているだけなんじゃないか。
——ほんとうに向かいたい方向だからではなく、
必要だから引き受けてきただけなんじゃないか。
——わたしが進んでいるこの道は、
ただ「ちゃんとしている」だけで、
心の深いところは置いていかれていないだろうか。
そう思うとき、胸の中に鈍い重さが生まれる。
誰かのために動くことはできる。
場を整えることもできる。
必要なことを見つけて、そこに力を注ぐこともできる。
でもそれが、そのまま
「わたしがほんとうに進みたい方向」と同じとは限らない。
そこが、ずっと曖昧だった。
近しい人との間でも、似たようなことが起きる。
頼られると、応えたくなる。
困っていそうだと、放っておけない。
言葉になっていないものほど、先に拾いたくなる。
でも、動いたあとで、ふと苦しくなることがある。
——これ、頼まれたからやったんだっけ。
——それとも、わたしが気づきすぎただけなんだっけ。
——わたしは助けたかったのか、
ただ不安に耐えられなかったのか。
そうやって立ち止まるたびに、
自分の優しさと不安の境目がわからなくなる。
ほんとうに大事にしたいから動いたのか。
場が乱れるのがつらいから動いたのか。
相手を思っていたのか。
「大丈夫じゃない感じ」に耐えられなくて整えたくなったのか。
きっと、そのどちらもある。
どちらかだけなら、もっと簡単だったのかもしれない。
でも、わたしの中ではいつも、
愛情と緊張、
優しさと責任感、
信じたい気持ちと疑ってしまう感覚が、
きれいに分かれずに混ざっていた。
だから、家族の中にいても、
近しい人と過ごしていても、
心からくつろぎきれない日があった。
一緒にいる。
会話もしている。
表面上は穏やか。
でも、わたしの中では何かがずっと働いている。
この人はいま無理していないかな。
このまま受け取って大丈夫かな。
いま言うべきか、まだ言わないほうがいいか。
何を見ないふりにしていて、
何をほんとうは気にしているんだろう。
そうやって見えないところでずっと動いているから、
あとになって、どっと疲れる。
そのくせ、疲れていることに気づくのは遅い。
まだ大丈夫。
まだやれる。
もう少し整えてから休もう。
そう思っているうちに、
気づけば自分の内側が後回しになっている。
そんなとき、ようやく別の声がする。
——ほんとは、わたしは何に安心したいんだろう。
——ちゃんとすることの先に、何を求めているんだろう。
——誰かのために動くことと、
わたし自身が納得して生きることは、
ちゃんとつながっているんだろうか。
この問いは、前よりもごまかせなくなってきた。
前は、役割があれば進めた。
必要とされれば頑張れた。
やるべきことがあるなら、そこに力を注げた。
でも今は、それだけでは足りないと、
どこかではっきりわかっている。
ちゃんとしているだけでは、もう前に進めない。
正しさだけでも続かない。
必要とされるだけでも、心の深いところまでは満たされない。
だからといって、
はっきり答えが見えているわけではない。
むしろ逆で、
見えていないからこそ、もどかしい。
——わたしがほんとうに向かいたいのは、どこなんだろう。
——この感覚は、気のせいじゃない。
——でも、まだ言葉になりきらない。
——わたしは、何をわかろうとしているんだろう。
それでも、不思議と
「全部まちがっていた」とは思えない。
むしろ、これまで感じてきた違和感も、
家族や近しい人との間でうまく言えなかった苦しさも、
すぐに引き受けすぎてしまう癖も、
進むたびに立ち止まってしまうあの問いも、
全部どこかでつながっている気がする。
ただ世話焼きなわけじゃない。
ただ心配性なわけでもない。
ただ慎重なわけでも、ただ勢いがあるわけでもない。
わたしの中には、
守りたい気持ちがある。
崩したくないものがある。
納得しないまま進みたくない感覚がある。
そして、進むなら、ちゃんと意味のある方向へ進みたいという願いがある。
たぶん、わたしが悶々としてきたのは、
何もないからじゃなかった。
むしろ逆で、
自分の中に確かにあるものを、
まだうまくひとつの言葉にできていないからなのだと思う。
だから、いまはまだ途中でいいのかもしれない。
まだ、「これです」と言い切れなくていい。
まだ、迷いがあっていい。
家族の中で感じる小さな詰まりも、
近しい人に対して抱く言葉にならない重さも、
この方向でいいのかと何度も確かめたくなる気持ちも、
なかったことにしなくていい。
その全部を通っても、
わたしの中で消えなかったものがある。
守りたい。
整えたい。
ごまかしたくない。
ほんとうに納得できる形で進みたい。
その感覚だけは、たぶんずっと本物だった。
まだ全体は見えていない。
まだ説明しきれない。
でも、少なくとももう、
「なんとなく」でここまで来たわけではないことだけはわかる。
わたしの中では、もう何かが始まっている。
それは派手な確信ではないけれど、
確かに、静かに、戻れない形で。
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そして、そのほかの物語へ
