他の人の物語に触れてみる

Kちゃんの魂の物語 〜「まだ、そこに立ったままでいる」〜

こんにちは。
考えかたから世界を変える、須田 智子です。

これはKちゃんの魂の物語です。

読んでいく中で、どこか少しでも

「これ、自分のことかもしれない」

と感じる部分があれば、

それは、
もともと自分の中にあったものに、
触れはじめているサインかもしれません。

その感覚のまま、
読み進めてみてください。

Kちゃんの魂の物語

たぶん、ずっと前から知っていたのだと思う。

このままではないこと。

ほんとうは、もう少し別の場所があること。

今いる場所の中でも、ただ与えられた役割をこなすだけではなく、
もっと深いところで人と関わりたいと思っていること。

でも、それを「これだ」と言い切るところまでは、
どうしても行けなかった。

やりたいことがなかったわけじゃない。

何も感じていなかったわけでもない。

むしろ逆だった。

感じてしまうものが多すぎた。

人の気持ちも、
その場の空気も、
言葉の奥にあるものも、
見えている現実の少し先も。

たとえば誰かが笑っていても、
その笑顔の中に、うっすらと混ざる迷いに気づいてしまう。

「大丈夫」と言われても、
大丈夫と言わなければいけない感じのほうを先に受け取ってしまう。

だから、ただ目の前のことだけを見て
軽やかに決める、ということが難しかった。

“たぶん、わたしはもう少し違う関わり方がしたい”

心の奥では、そう感じている。

でも別の自分が、すぐに声を重ねる。

“違うって、何が?”
“どこへ?”
“ちゃんとできるの?”
“今のままでも困ってないなら、それでいいんじゃない?”

その問いに、
はっきり答えられない自分がいる。

そうすると、最初に浮かんだ小さな確信は、
すぐに霧の向こうへ引いていく。

見えていたはずなのに、
急に遠くなる。

やっぱり気のせいかもしれない。

まだその時じゃないのかもしれない。

もっとちゃんと分かってからじゃないと動けない。

中途半端なまま始めるくらいなら、
今はまだここにいたほうがいい。

そうやって、
一歩手前で止まる。

誰かに言わせれば、
慎重なのだろう。
あるいは、動けない人に見えたかもしれない。

でも自分の中では、
ただ怖がっていたわけではなかった。

雑に始めたくなかったのだ。

なんとなくで選びたくなかった。

軽い気持ちで名乗りたくなかった。

一時の気分で“これがわたしです”と決めて、
あとで自分の感覚を裏切るようなことをしたくなかった。

ちゃんと関わりたい。

ちゃんと意味のある形にしたい。

ちゃんと、その人に届くものとして扱いたい。

そう思ってしまうからこそ、
まだ言葉になりきっていないものを
外へ出すことができなかった。

“動くなら、ちゃんとしたい”

その声は、
とても静かで、とても強かった。

表では、普段どおりに過ごせる。
人と話し、合わせ、笑い、
必要なことをこなしていくこともできる。

周りから見れば、
穏やかで、やさしくて、
きっと大きく困っているようには見えない。

でも内側では、
ずっと小さな違和感が積もっていた。

これで終わりじゃない気がする。
わたしは本当は、ただやさしく頷いているだけではない気がする。

ただ話を聞いて、
ただ支えるだけでは、
まだ何かが足りない気がする。

相手の言葉を受け取りながら、
同時に、その奥にあるものまで見てしまう。

この人は、本当はどこで止まっているんだろう。

何を怖がっているんだろう。

どこが少しずつ噛み合わなくなって、
こんなふうに苦しくなっているんだろう。

そういうものが、
頼まれたわけでもないのに見えてしまう。

そして、見えるだけで終わらない。

もし今ここで言葉をひとつ変えたら。

もし、順番を少し入れ替えたら。

もし、この人が自分を責めずに話せる空気が先にできたら。

たぶん、流れは変わる。

そんなふうに、
頭の中ではもう、自然に整え始めている自分がいる。

けれど、
それを“自分のやること”として受け取るところまでは、
なかなか行けない。

“そんな大それたことじゃない”

“たまたまそう見えてるだけ”

“みんなそれくらい感じてるでしょう”

“わたしなんかが、そこに立つなんて”

そう言って、
また少し後ろへ下がる。

でも、不思議なことに、
それでも何かは消えなかった。

やろうとしてもいないのに、
人と話したあと、
相手の表情が少し変わることがあった。

絡まっていた気持ちが、
ゆっくりほどけていくような瞬間があった。

自分ではただ話をしただけのつもりなのに、
相手が「あれ、ちょっと分かったかもしれない」と
息を吐くことがあった。

そのたびに、
胸の奥の何かが、小さく反応する。

“ほらね”

けれど、その声にすぐ乗ることはできない。

“でも、たまたまだよ”
“たまたま相手のタイミングだっただけ”
“それを自分の力みたいに思ったら危ない”

そんなふうに、
すぐに別の自分が蓋をする。

慎重なのだと思う。

でも、その慎重さは
自信のなさだけではない気がしている。

見えてしまうからこそ、
簡単に扱えないのだ。

人のことも、
関係のことも、
人生の流れのことも。

ただ元気にしたいわけじゃない。

ただ励ましたいわけでもない。

もっと別のところで、
その人がその人に戻っていく感じに触れたい。

表面の答えではなく、
その人の中でほんとうに噛み合うところまで、
ちゃんと届いてほしい。

そう思うと、
軽く始めることができない。

だから、長いあいだ
“まだその時じゃない”という顔をしながら、
ほんとうは“雑に始めたくない”を抱えていたのかもしれない。

周りは少しずつ進んで見える。
何かを決めて、
何かを始めて、
役割を引き受けていくように見える。

そのたびに、
小さく焦る自分がいる。

“わたしは何をしているんだろう”

“また立ち止まってる”

“ほんとうは向かいたいのに”

すると、もうひとりの自分が言う。

“でも、違うものを選ばなかっただけでしょう”

その言葉に、
少しだけ救われる。

進めていないのではなく、
まだ違うと思うものには乗らなかっただけ。

何もなかったのではなく、
まだ自分の感覚を雑に裏切らなかっただけ。

そう思うと、
この長い「とどまり」にも、
少しだけ別の意味が見えてくる。

立ち止まっていたようで、
何もしていなかったわけではなかった。

見ていた。

感じていた。

比べていた。

本当かどうかを、
ずっと自分の中で確かめていた。

人の言葉を聞きながら、
その奥に流れているものを感じ取ること。

目の前の問題だけではなく、
その人に合う順番や形を、静かに探してしまうこと。

やわらかく関わりながら、
本当はかなり深いところまで見ていること。

それらは、昔から何も変わっていなかった。

変わらなかったからこそ、
誤魔化せなかったのかもしれない。

本当はもう、
うっすら分かっているのだと思う。

わたしが向かいたいものは、
ただ「何かをやること」ではない。
肩書きでも、分かりやすい正解でもない。

もっと、関わり方のほうにある。

人に向き合うときの、
あの静かな集中の中にある。

相手の中で止まっていたものが、
少しずつほどけていくあの感じの中にある。

けれど、
まだそれを結論にはしたくない。

結論にしてしまうには、
まだ言葉が追いついていない。

でも、何もないとは、もう思えない。

あのときも、
このときも、
ただ立ち止まっていただけではなかったのだと、
今は少しだけ思う。

進めなかったのではなく、
簡単には渡せないものを、
ずっと自分の中で抱えていた。

だからたぶん、
まだ、そこに立ったままでいるように見えても、
ほんとうはもう、
何も始まっていない人ではないのだと思う。

まだ名乗ってはいない。

まだ形にもしていない。

でも、
何かがない人の迷い方では、
もうない気がしている。

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