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祥子さんの魂の物語

祥子さんの魂の物語

ここまで来ているのに、決めきれない理由

 

それは、いつからだっただろう。

それは、
うまくいっていない、という感覚とは少し違っていた。
ここまで来ている。

考えてきたし、整えてきたし、向き合ってきた。

何もやっていないわけではない。

むしろ、きちんとやってきた。

それなのに、どこかで止まる。

前に進んでいるのに、
もう一歩先に進もうとすると、足が止まる。

「これでいいのかな」

その問いは、何度も浮かんできた。

そのたびに、ちゃんと考えてきた。

流さずに、見直してきた。

形も整えている。

流れもつくっている。

必要なものも揃っている。

だから、外から見れば、
「ちゃんとできている」と思える状態にはなっている。

でも、自分の中では、まだ終われない。

「ちゃんとしてる。でも…」

その先に言葉が続かないまま、どこかに違和感だけが残る。

内側には、いくつかの感覚が同時にある。

ひとつは、
きちんと整えたい、成立させたいという感覚。

もうひとつは、
それが本当に“これ”なのかを確かめ続ける感覚。

整っているだけでは足りない。

成立しているだけでは、どこか浅い。

そのことを、どこかで知っている。

だから、簡単には決められない。

やろうと思えば動ける。

形にもできる。

出すこともできる。

でも、そのまま出そうとすると、
どこかで小さく引っかかる。

「本当にこれでいい?」

その違和感を、見過ごせない。

だから、また整える。

また考える。

また少し組み替える。

外から見ると、慎重に見えるかもしれない。

でも実際は、
止まっているわけではない。

違う形で進むことを選べないだけ

そして少しずつ、気づき始めている。

自分が見ているものは、
ひとつの役割や、ひとつの形だけでは収まらないのかもしれない、と。

誰かに何かを教えること。

サポートすること。

整えること。

どれも含まれている。
でも、どれもそれだけではない。

見ているのは、もっと奥にあるもの。

その人の中にある資質。

まだ活かされていない部分。

うまく巡っていない流れ。

それらがどう動けば、
全体が変わるのか。

気づけば、そこに意識が向いている。

でも、それをそのまま言葉にしようとすると、
少しだけズレる。

どの表現も間違いではない。

でも、どれも完全ではない。

そして、もうひとつ。

たぶん、いちばん静かに残っている感覚。

「これに、どれだけの価値があるんだろう」

人の中にあるものは見える。

その価値も感じ取れる。

でも、自分が扱っているものになると、

少しだけ輪郭がぼやける。

だから、決めきれない。

言い切れない。

踏み出しきれない。

けれど同時に、
少しずつわかってきている。

これは、足りないから止まっているわけではない。

むしろ、
扱っているものが、すぐにひとつにまとめられる種類ではない

だから、時間がかかっている。

そして、ほんの少しだけ、
別の見え方も出てきている。

もしこれが、
何かを新しく作ることではなくて、
すでにあるものを、きちんと扱える状態にすることだとしたら

もしこれが、
何かを与えることではなく、
その人の中にあるものを、活かせる形に整えることだとしたら

もしこれが、
表面的な変化ではなくて、
もっと奥の構造に触れることだとしたら

今まで感じていた違和感は、
少しだけ静かになる。

まだ、全部は言葉にできない。

でも、
「間違ってはいない」
その感覚だけは、残っている。

たぶんこれは、
何かを探している状態ではなくて、
すでに見えているものを、どう扱うかの段階

まだ途中だ。
でも、確実にここまで来ている。

これまでの時間は、
遠回りではなかった。

必要な形に、

必要な順番で、

たどり着いているだけなのだと思う。

 

そしてきっと、

この先にあるものは、

人の中にあるものを、
そのままではなく“活きる形”にしていく関わり方

なのかもしれない。

まだ言い切れない。

でも、

確かに、そこに触れ始めている。

 

 

 

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